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ドラマ「一番電車が走った」 実話で一番電車が走ったのはいつ? [ドラマ]

今から丁度70年前の今日(8月6日)の午前8時15分、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期に広島市に原子爆弾が投下されました。

この原子爆弾投下により、広島市の人口約35万人(推定)のうちの約9万~16万6千人の方々が被爆から2~4カ月以内に亡くなられたそうです。

平和の尊さを強烈に感じさせられる出来事です。


NHKのドラマ被爆70年「一番電車が走った」は生き残った電鉄会社の社員が原爆投下の翌日から復旧作業を始め、被爆からわずか3日後に、一部の路線で電車の運転再開を行ったという実話をもとにしたドラマです。

原爆投下後、広島で一番電車が走ったのは昭和20年8月9日のことです。

復興の希望を込めて「一番電車」と呼ばれました。


このドラマ「一番電車が走った」で一番電車を運転する少女運転士・雨田豊子さんを演じるのは、黒島結菜さん。

雨田豊子さんは、仕事をしながら勉強できると聞き、広島にやってきます。

雨田豊子さんは路面電車の乗務を行いますが、8月6日の朝、早番で電車を運転していた時に被爆します。

奇跡的に命が助かった雨田豊子さんは、8月9日に一番電車を運転することになるのです。

黒島結菜さんは、雨田豊子さんを演じるにあたり、雨田(現:児玉)豊子さんご本人からたくさんの話を聞いたそうです。


また、児玉豊子さんのお孫さんの描いた「原爆に遭った少女の話」は、49万アクセスを集めたネット漫画として注目を集めているそうです。(2015年8月6日現在 インターネットで無料で読むことができます)


電車復旧の指揮を任されたのは、広島電鉄電気課課長の松浦明孝さん。

ドラマ「一番電車が走った」で松浦明孝さんを演じる阿部寛さんも、松浦さんの息子さんと会い、明孝さんがどんな父親だったかという話や原爆投下直後の惨状などを聞いたそうです。

広島電鉄株式会社(設立:昭和17年4月10日 本社:広島県広島市)も、ドラマ「一番電車が走った」の制作に協力し、資料提供、OB社員等への取材支援、車庫内でのロケ撮影等を行ったそうです。


原爆投下後の地獄のような状況の中、一番電車を走らせるため、一面瓦礫の中を奔走する人々の姿は今を生きる私達にも、平和の尊さばかりでなく、勇気と前向きな気持ちを与えてくれるのではないでしょうか。

NHKのドラマ被爆70年「一番電車が走った」は、NHK総合テレビで2015年8月10日(月)よる7時30分~8時43分(73分)の放送予定です。


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